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【ラジョダダ初登頂④】遠征計画の承認を得る

by yudaisuzuki

前回の記事までで一先ずラジョダダをターゲットにすることが決まった。この時点で2016年の8月、遠征に出発する14ヶ月前であった。

https://yudaiclimbing.com/2017/11/09/ヒマラヤの未踏峰「ラジョダダ」に世界初登頂す-3/

時間があるように思えるが、僕らにはやる事が沢山ある。そもそもこの遠征隊のメンバーは、出発時5年の僕と4年の福田が2人で行くことになっていた。僕は一応、大学山岳部を卒業した身になって行くものの、後輩の福田は学生である。つまり、山岳部関係のOBや大学の承認を得なければ行けないのである。なぜなら、万が一事故が起きれば「自己責任」で片付ける訳にはいかず、大学や監督、部活として責任をとらなくてはならないからだ。


そして、この承認を得るプロセスが非常に大変だった。何故なら、承認を得る為に計画の妥当性やルートの安全性を説明しようにも、ラジョダダは「未踏峰」であり、情報がなく、論理的なルート説明がほぼ不可能であるからだ。


そんな中、協力的なOBにも助けられ、毎月1回のミーティングを重ねる事数回、一先ず、ラジョダダ「偵察」の許可までは取り付ける事が出来た。

しかし当然ながら、憧れの未踏峰の麓まで行って、易々と帰るような偵察計画では納得がいかない。僕らは、なんとか偵察計画から登頂計画に格上げしようと試みた。特に安全面でネックとなっていたのが、メンバーの構成であり、

1、学生のみで構成されるメンバー

2、2人という少数なので1人に何かが起きた場合の危険性が著しく高まる

という2点が、大きな問題点であった。


そこで、望み薄ながらも、卒業して2年経つ萩原さんに計画を持ち掛けたのだ。萩原さんは、同じ早稲田大学山岳部で現役時代に主将を務め、アコンカグアやヨーロッパアルプス登山の経験も持っていた。

最初は半信半疑だったが、萩原さんも遠征参加に興味を示してくれ、会社を退職しての挑戦に踏み切ってくれた。萩原さんの勇気ある決断に、隊の指揮も高まった。

そこからは話もトントンと進み、早くしないと誰かに登られてしまうなどと理由をつけ、ラジョダダの初登頂を目指す計画へと格上げされた。(実際、僕らが出発する前年秋シーズンにアメリカ隊がトライし、また花谷さん率いるヒマラヤキャンプのターゲット候補にもなっていたようだ。)


これで、やっと具体的な食糧や装備の計画を進められる。僕らは未踏峰の前に立ちはだかる、一つの山を越えたのだった。

遠征前に富士山、剱岳にてトレーニング↓

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次記事はこちら↓↓

https://yudaiclimbing.com/2017/11/09/【ラジョダダ世界初登頂⑤】%E3%80%80-日本出国~カトマ/

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