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ガッシャーブルム6 敗退記

by yudaisuzuki

〜最初の試練〜

一体この国はどれだけの試練を僕らに与えてくれるのだろうか。3ヶ月前に申請したビザは、出国10日前にやっと発給され、登山許可は当然の事ながら、出国前の段階では自分達の手には渡らない。大金を叩いて入国し、登山をさせて貰えないなんて事もありえるのだ。半信半疑で日本を飛び立つ。上陸したイスラマバードは想像より遥かに発展していた。

旅の疲れも抜けぬまま、登山準備に繰り出すと、あろうことか、登山に必要不可欠なガス缶が、パキスタン全土に全くない。店員は口を揃えて、「コロナの影響や輸入制限で今年はないんだ」と他人事だ。ダメ元で他の街にも問い合わせるが、どこの店にも全くなく、同じヒマラヤと言えどネパールのカトマンズでは考えられない事象が起きていた。これではまともなトライも出来ずに、遠征費用もドブへと消える。

初めは何とかなるだろうと鷹を括っていたが、徐々に楽観的な考えは焦りへと変わり、あらゆる手段でガスを入手するしかなくなった。そうして、登山エージェントに置いてあった空の古いガス缶に、プロパンガスを補充しようと商店街を出歩くと、「そんな古い補充キットはもう使わないから捨ててしまった」という店が数件。結局目当ての物は見つからずに、諦めて宿へ戻った。

結局僕らは、ギリギリボーイズの先輩方が登山代理店にたまたま残置していた古いガス缶から選りすぐりの物を選び、泣きすがる思いで貸していただいたのだった。

しかしこれは、単なる始まりに過ぎなかった。予約していたスカルドゥまでの国内線は、悪天のため5日連続で飛ばず、空路を諦め、カラコルムの壮大な渓谷を陸路で行く羽目に。落ちれば一発アウトの崖沿いを20時間かけて走る事となった。だが、陸路と言えどそう簡単には進まないのがこの土地のスタンダードのようだ。峠に雪がつもり、中間地点の村で仕方なく一泊。翌日は、雨で緩んだ道が、至るところで崩れ、結局僕らは一軒家2つ分程度の岩塊に行手を阻まれた。人力で大量の荷物を崩落地帯の向こうに運び、岩塊の反対側で、別の車を急遽雇ってスカルドゥへ再始動。やっとの事で辿り着き、ホテルでゆっくり休めるかと思ったのも束の間、僕はパキスタンの慣れない食事のせいか、10分毎にくる滝のような下痢に襲われ、全く身体を休める事はできなかった。

結局、夜が明けても症状は治まらず、熱もあったので、食糧の買い出しや装備のチェックをパートナーの2人にお願いした。苦しいスカルドゥでの2日間の滞在を終え、いよいよジープで出発という所まで漕ぎ着けた。ところが、深刻な土砂崩れの影響で、イスラマバード方面からこの小さな街へのガソリンの運搬供給が困難となり、スカルドゥ中のスタンドで給油不可となってしまった。自然災害には対抗できない。大人しく待つしか無いので、更に2日間、薄汚い街で停滞する事となった。「今回はきっちり2ヶ月遠征期間を確保しているから大丈夫」と、日本では味わえないこの状況を楽しんでいる自分と、想像を超えるハプニングの連続に、徐々に疲れていく自分が居た。「スリルとイライラのパキスタン、楽しんで下さいね」と事ある毎に言っていた、登山代理店のお婆さんの言葉の意味が徐々に身に染みてきた。まだスタート地点にすら立っていないのに…。

〜ベースキャンプまでの遠い道のり〜

幾多のトラブルを乗り越え、トレッキング開始の村、ジョラに辿り着いた。カラコラムの一大メジャールートの出発点となるここは、多くの登山隊で賑わっていた。

トランゴ

ジョラからパイユ、ウルドゥカス、ゴレⅡ、そしてコンコルディアへと、毎日コマを進めていく。僕が今まで経験していた2回のネパールヒマラヤでは、ベースキャンプ以外全てロッジ泊だったのに対し、カラコラムは氷河上を歩くことになるので、全てテント泊となる。このあたりも、小さいようで意外と疲労の蓄積を感じた。また、カラコラムで設定されている標準的なキャラバン日程がネパールのそれに比べるとややハードで、1日に20km前後を連日歩かなければならなかった。そして何よりも、こちらは真夏、日中10時を過ぎると、立っているだけでも体力を消耗するような太陽が照りつける。気温計は連日35℃以上を示している。コンコルディアに着く頃には、全員の体調は万全とは言えず、特に種石さんは氷河の水の影響で発熱を伴う酷い下痢に苦しんでいた。「彼が弱っているのはお前の料理が質素なせいだ!」とリエゾンオフィサーがコックに喧嘩を売っている。

G4

当初はレストなしでBC入りすることも視野に入れていたが、そんな事は全く不可能だったと気づき、コンコルディアで1日の休養を挟んで、再びBCを目指した。

しかしここでヒヤヒヤする自体が発生。僕らが1日休養をとったことで、雇っていたポーターリーダーとガイドが、「今日帰らないと次の仕事に間に合わない」と言い出し、先に帰ってもらうことになる。ここまでは何もなく、僕らも心配していなかったが、彼らが帰ると、途端にポーターたちのやる気がなくなり、BC予定地の10kmも手前で荷物を放って帰りたがっている。僕らの優秀なコックがなんとか尻を叩いて、歩いてもらうが、結局、ちょっと目を離した隙に、BC予定地の500m程手前で、ダッフルバッグを放り捨てて帰ってしまった。しっかり場所を選定して、ベースを立てたかったのに…。

500kgを超える荷物を再び自力で動かすのはほぼ不可能に近く、選択の余地もない僕らは、その場所にベースキャンプを設営した。ただ、皮肉にもそこがG6南壁の目の前であり、結果的には特段大きなロスなく事が進んだのが不幸中の幸いであった。後で判明した事だが、アタック用の25Lザックはポーターに盗まれていた。

【こじんまりしたベースキャンプ。G3に挑むトムとアレシュと情報交換】

【G6南面全景。出国前予定していた画面中央右の雪壁及びその右のミックスは、

余りの脆さと頻発する雪崩のリスクにより断念】

〜辛い順応登山〜

ある程度予想をしていたとはいえ、それを大きく上回るトラブルに見舞われた僕らは、正直言ってかなり疲弊していた。さて、ここからやっと“自分達だけの”登山が始まる。5000mのベースキャンプで、土混じりの氷河を整地したり、川で洗濯をしたり、シャワーを浴びたりして、心身ともに回復に充てる。思えば、日本出国から次々に迫ってくる“課題”を突破するのに忙しく、BCに辿り着いて、やっとのことで落ち着く事ができた。こんな慌ただしいBC入りは今まででの経験の中でも、もちろんワーストだ。

そうはいっても、ゆっくりはしていられない。キャラバン中は好天に恵まれていたが、天気予報を確認するとちらほらと雪マークが続いている。早速、ガッシャーブルム1峰2峰の遠征隊と同ルートで順応登山を開始する。僕らのプランはこうだ。「初日にワンデイで行けるところまで、5500あたりまで登ってBCに戻り、数日のレストを挟んで、2泊3日で6200~6500くらいまで可能な限り目指す」文字に起こせば簡単そうに見えるが、実際は、今にも落ちてきそうな氷塊の間を迷路のように進まなければならず、5500mまでだけでも多大な労力を要した。その後のセクションは比較的緩やかな氷河となるのだが、ところどころにヒドンクレバスや1m強のジャンプでクレバスを飛び越えねばならないセクションが現れ、順応前の体には酷く応えた。ガッシャーブルムⅠを登りにきた他パーティーの話を聞くと、冗談抜きで3隊に2隊くらいはクレバスに1度は落ちたと言っていた。流石にその話は半信半疑であったが、現物を見て「なるほどな」と納得できる氷河の状態であった。実際、僕らもすれ違いの他パーティーがクレバスに落ちるシーンを丁度目撃し、急いで救助を行った。

【順応登山。背後はG6の末端尾根。余りの脆さに即選択肢から外れる】

それでも、厄介なクレバス通過以外の順応行程は比較的スムーズに進み、5950mで1泊後、6250mをタッチし、再度5950mで1泊、氷河が太陽で溶ける前、早朝にBCへと歩みを進めた。

初日は1000m近くを一気に登ったので、酷い頭痛に苦しんだが、2日目以降は大分マシになっていた。

高所に弱い僕は、欲を言えば6000m以上の標高でもう1泊はしておきたかったが、順応行程の4日目が雪予報であったので、それは叶わなかった。パートナーの種石さんは、この順応登山の開始1時間後に再び酷い下痢に襲われ、全く順応が出来ない状態でアタックの日を迎えることになった…。これも大きな痛手だった。

【順応登山。終始ズタズタの氷河を迷路のように登る】

〜アタック〜

メンバーの高所順応の状態にかなりの不安があったが、3人でしっかりと議論をし、全員でアタックすることに決めた。一応の順応ができた2人だけで行くには荷物が重くなるというデメリットがあり、一方、コンディションが優れない隊員を戦力に加えるのも途中撤退のリスクがある。シビアな議論の末、折角3人でここまで来たし、初日以外の獲得高低差は1日あたり+500m以下に過ぎないことなどから、全員で山頂を目指す事で納得した。

当初予定していた南壁は、終始落石や雪崩のリスクに晒されていたことが、BCから容易に確認できたので、アタックはBCから6kmほど戻った地点から派生する氷河を詰めアプローチし、不確定要素を少しでも減らせるルートを選んだ。BCからは陰になっていて見えないが、過去に8000m登山家のラルフが、コルまで行った記録があり、そこまでは行けるだろうという判断だった。コルから先は、望遠で見た限り、一筋の雪がなんとか繋がっていそうに見えた。そこに僅かばかりの希望を託し、僕らはBCを出発した。

【7000mの山頂までコルから先が700m程、そこまで辿り着けず敗退】

アプローチの氷河帯は、パキスタンの照りつける日射から、崩壊のリスクが高く、なるべく早く通過したかったが、迷路のように入り組んでいて、なかなか思うように進めない。しかし、何度か行き来すれば突破口を見出せる所が殆どで、ロープを出さずに通過することができた。まだ太陽も高いうちに、とてつもなく開けた、平和な台地に辿り着く事ができた。あたりは溶け出した氷河からなる小川が流れており、これ以上ないキャンプ適地だ。標高も5300mとちょうど良いので、明日からの本格的なアタック行程に備えることとした。

テント設営後、高柳さんと僕は登る予定の斜面を偵察に行った。山が巨大なので、すぐそこに見えた取りつきになかなか着かない。1時間ほど歩いただろうか。やっと、明日登る斜面を確認する事ができた。事前のイメージよりは険しそうな様子だったが、落ちてきそうなセラックなどは登路を離れており、危険度は許容範囲だ。

翌朝、日の出前に歩き出し、取り付き手前で明るくなってきた。過去の隊は、ロープをザックにしまってコルまで登り切ったようだが、この様子では、そんな事はあり得ないように感じた。氷河の状態がだいぶ変わったのだろうか。初めこそ、斜度はキツくなく、3人数珠繋ぎで同時登攀をしていく。ここは僕がリードしたが、未知の領域に突っ込んでいく感じ、久しぶりでとてもワクワクしていた。ロープスケールで400m程登っただろうか。徐々に傾斜は増し、しっかりとしたビレイが必要になった。サクサクとアイゼンで登れるだろうと思っていた所が、全てしっかり蹴り込まないといけない氷になってきた。下部がこれほど本格的なクライミングになるとは、予想を上回っていた。スクリューも6本しかないので、アンカーを除くと60mに2本しかプロテクションをとれず、アックスを振る際も集中して叩き込まないとならない。氷は徐々に緩み、スクリューも心許ない感じだ。ふくらはぎが悲鳴を上げるとはよく言う表現だが、まさにそれを1000m近く続けなければ、コルには辿り着かない。

【コルまでもう少し、だが永遠と近づかない。リードする高柳】

高柳さんにリードを代わり、次は暫くフォローに徹する。精神的には多少楽になるが、今度は徐々に照りつける太陽にやられる。気温計を見ると、+30度と示している。熱中症になるんじゃないかと、氷を溶かして食べまくるが、加速度的に疲労は溜まっていく。高所の影響も合いまり、隊全体のスピードはどんどん遅くなっていく。それでも、徐々にコルは近くなってきて、「あそこまで行けば1泊して、なんとかリセットできる。体力的な核心は今日だと思って頑張ろう」と希望を胸に、騙し騙し同じ動作を永遠に繰り返す。

6000m程まで行っただろうか。頭上にいる高柳さんがロープ半分ほど伸ばした所で、何か下に向かって叫んでいる。よく聞こえなかったが、「水分不足で足が攣ったかな」と思って、「次リード代わりますよ!」と叫んでフォローを始める。そして上に辿り着くと、元気そうで安心したが、なんとクランポンの先端が真っ二つに折れている。こんな所でこんな事になるか…。

【暑さと高所にスピードが上がらない】

敗退の事実に絶望すると同時に、「もうこの苦しい登りを続けなくて良い」というプレッシャーからの解放に大きく安堵する自分もいた。アイゼンが壊れず、もしこのまま登れたとしても、山頂まで行ける確率はこの調子だとかなり低そうだった。だが一方、なりふり構わず、性根尽き果てるまでのクライミングをしたい自分もいた。この酸素の薄い6000m地点ではそう言い出せる程の強い心は持ち合わせておらず、また、アイゼンを修理する術もなく、潔く敗退を認めるしかなかった。散々登ってきた氷は、容赦ない太陽でグサグサになり、酷いところでは滝のように水が流れていたが、Vスレッドを毎回2箇所ずつ設置し、疲労困憊でなんとか氷河にたどり着いた。完全なる敗退であったが、何か大きなものを得ることができたのではないか。そう信じて、今後も登山を続けたい。カラコラムの地にいつか戻ると約束し、多少のギアを街に残置して、僕らは帰国の途についた。

3人にとって初めてのカラコルムであり、失敗に終わったが、得るものは大きかった。この度は遠征をサポートして頂いたこと、改めて感謝申し上げます。

  • 【遠征データ 概略】

6/17パキスタン入国 イスラマバードにて準備、国内線待ち

6/22 陸路でスカルドへ出発

6/23 夜 スカルド着

6/27 スカルド〜ジョラ ジープ

6/28~ ジョラから6日間のキャラバン開始 (途中1日コンコルディアでレストを挟む)

7/3 BC着

7/4~7/6 レスト、偵察

7/7 順応登山1回目 5500mをタッチ

7/8,9 レスト

7/10~12 順応登山2回目 1日目5900m泊→2日目6300m弱までタッチ、5900m泊 →3日目5900mからBC(5000m)へ下山

7/13~17 レスト、終始悪天

7/18アタック開始 BC〜C1(5300m)

7/19アタック2日目 C1→最高到達地点(6000m)→C1

7/20アタック3日目 C1→BC

7/21~24 レスト、ポーターを呼び寄せ、到着待ち。この後暫く悪天の予報

7/25~7/29バックキャラバン BC→アリキャンプ→チョスパン→サイチョー→フーシェ

7/30~8/4 フーシェ→スカルドへ移動後、デブリーフィング、事務処理など

8/5 種石イスラマバードへ。翌日帰国。 高柳・鈴木 フンザ方面へ偵察

8/12フンザ→イスラマバード

8/15 イスラマバードにて遠征事務処理後、帰国

  • 今後必要なトレーニング、改善策(一部)

・ミックス、雪壁系の大きな山は、高難度の技術も大事だが、何よりも体力が必要

→ランニングや水泳、ボッカ、長期山行などより重視して照準を合わせる。ミックスはM8で充分以上

・出発前の富士山に最低でも4日間以上滞在する。キャラバン中の疲労低減

・最近のカラコルムはとにかく暑いので、キャラバン、アタック共に夜間行動を意識する

→今回は最終的に選んだ登攀ルートがBCから影になっており、初見だったので、視界を求めて通常通り行動、30℃を超える日射に激しく消耗した。

・リエゾンが必要な地域は兎に角高い。今回リエゾンに関する費用だけで35万以上の出費

・6月終わりから7月頭が晴天率は高かった。(参考程度)

・氷河や壁の状態など、昔の記録とは大分変わっており、氷河は後退、壁は黒い事が多い。

・今回G1,G2隊のルートで順応をしたが、氷河が酷かった。仕方ない面もあるが、容易な順応ルートが見つかる山を選びたい。欲を言えば、6000m以上でもう一泊しておきたかった。(個人差あり)

•登攀時の荷物が余りに多かった。6000mを超えたらアルファ米は60gで充分。スープ多めに。キャメロットは赤か黄色までで抑え、極小ナッツなど軽いギアでなるべく対応したい。ウェアも多すぎ、シュラフも600g台までが適正。

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